同窓会名: 京都教育大学附属桃山中学校同窓会 |
所在地: 〒611-0071 京都市伏見区桃山井伊掃部東町16 |
FAX番号: 075-611-0371 |
メールアドレス: info@fuzokudosokai.com ★尚、同窓会員のプライベートにかかわる情報提供は出来かねますのでお含み下さい |
母校の京都教育大学附属桃山中学校の現在の教育研究や学校生活などがご覧いただけます。
去る9月15日(日)我が第25期のサッカー部同窓会を、恩師種村先生をお招きし伏見区内で開催しました。
今年86歳となられる種村先生が来臨いただけるとのことで、卒業以来となるメンバーも集結し、皆で短いタイムスリップを時間を惜しんで楽しむことができました。
卒業アルバムを同じ並びで撮影したり、一人ひとりが当時の思い出話をしたりで大いに盛り上がりました。
いまでもスキーを楽しんでおられる種村先生を見習って、全員で今後の健康を誓い合い、次回の集結を約束しお開きとなりました。
幹事:恩田徹、沢田幹也、豊田高史、
常田順介(記)
第10期の同窓会「いちまる会」開催
第10期卒の同期会(いちまる会)を2023年11月26日(日)にリーガロイヤルホテル京都で開催しました。
出席者は25名で写真撮影後3テーブルに分かれて着席し 同期生である瀬戸口烈司氏が「京都市青少年科学センターの歴史」について講演されました。
食事中には正面の大きなスクリーンに中学時代の動画・スライド写真を流して懐かしみ 一人ずつ近況を話しました。
2時にお開きとなり希望者は近くの紅葉の東寺を散策し国宝の五重の塔の中の仏像を見学して流れ解散となりました。中学時代に戻り懐かしく楽しい一日でした。
柏村和可子(10期)
みしな会(七期生同窓会)秋の会合
みしな会(第7期生)秋の会合は2023年11月15日(火)京都市役所傍のフォーチュンテラス京都で12時から開催。計19名が参加。兎のブローチを着けた女性、そう今年は兎、7回目の卯年だ。我々男は平均寿命81歳を超え平均余命7年、女性は87歳の平均寿命以下で余命9年。これらを考えれば男9人、女10名の出席は上出来である。ドタキャンは帯状疱疹で男1名のみ。最遠方は横浜市次いで大阪狭山、神戸など。群馬県からは癌闘病中の者1名から挨拶が寄せられた。この会合中坊敬君が常任幹事を引き受けてくれているが大津市在住なので京都在住の溝渕文直君がサポート、春秋年2回も開催している
一番元気そうなのは神戸から、「城を巡る会」に常時出席し全国を回っている男。また脳卒中で倒れ救急車で運ばれたが脳外科の先生がたまたまいて手術成功。ダンス、卓球、観鳥、魚釣りなど現在も多方面で活躍中、これは大阪狭山から毎回出席、人生は「運」だと言う。乳がん手術してもうすぐ無罪放免になる女性、前立腺癌を克服、肝臓癌闘病中の者など重病経験者もいるが、「場所どこか割らんから」と会場への迎えを頼む者、孫に病院に連れられ認知症と言われた者など流石に84歳高年齢層である。しかし、つい先日免許更新して毎春秋八ヶ岳の別荘へ車で往復している者、母屋が重文で修理のため物の整理に大童な女性、旦那の介護の合間に車椅子で参加した女性、「有名観光地で商店街の代表でよく名前が出てくる人 同じ苗字やけど親戚かな」「うちや、3代続いている」と女将さん業が板についている女性など、皆一所懸命それなりに生きており、参加者は意外に若い。我々殆ど皆高校以上に進学,有難いことである。(当時大学進学率15%程)
「今」を大事に生き抜き、また来春会おうと14時半頃散会。このうち14名(男3名、女9名全員)は御所まで散策、晩秋の紅葉を楽しんだという。この年柄、元気で集まれたのは喜ばしく 有難いことだ。 楽しい会合だった! 感謝! (留岡 寛 記)
第25期同期会の報告(令和5年10月29日開催)
去る10月29日(日)我が第25期の同窓会が「都ホテル京都八条」で開催されました。コロナの影響で開催は6年ぶりとなりました。今回は附属桃山小学校も併せての開催となりましたが、依然として残るコロナの影響や急に蔓延したインフルエンザもあり、56名と25期の同窓会としては小規模なものとなりました。
それでも卒寿を迎えられた藤林先生と、お元気な袖岡先生の両恩師にご来臨いただけたこと、またほぼ卒業以来というメンバーも何人か出席で、ひと時ではありましたが皆で短いタイムスリップを楽しむことができました。次回の再会を誓い、盛会のうちに閉会しました。
幹事団:徳田裕之、中谷耕二、星野(川端)千晶、森山(井上)佳子、常田順介
第21期(昭和44年卒)同窓会開催
第21期(昭和44年卒業)の私たちも古希と言われる年齢に達しました。令和5年9月17日(日)、4年前卒業50周年を記念して集まって以来、久々の同窓会をウェスティン都ホテル京都で開催しました。「あれ誰?」入口で一瞬キョトンとした顔もありましたが、すぐに昔の姿を思い出し、懐かしい話に花を咲かせ、楽しい時間を過ごしました。
(文責:21期瓦谷泰浩)
第6期(昭和29年卒)最後の「十六夜会」開催
令和5年4月20日、最後の「十六夜会」に出席しました。
会場の「がんこ高瀬川」は、高瀬川(一之入船から木屋町を経て伏見に至る物流用運河)を開発した江戸期の豪商:角倉了以の別邸だった、と聞きました。
参加者は25,6名、前回以降亡くなった学友は4名(最終確認を失念したので、名前は記しません)。席上回覧された返信を拝見すると、ご本人やご家族の健康状況等の理由で、出席を断念せざるを得なかった方々も相当数おられたようで、“時の流れ”の速さ・厳しさを再認識させられました。
それにつけても、世界規模のコロナの中で、3年間「十六夜会」を守り、今回の懇親会開催にまで漕ぎつけていただいた幹事さん(加賀見さん、寺村(井口)さん)と、事前準備、当日の運営に協力いただいた皆さんに心から感謝します。
附属桃山中学に入学したのは1951年、それ以降、皆さんとのお付き合いは72年に及びます。今、80歳半ばになって、来し方を振り返ると、曲がりくねった道が長く続いていて、ところどころに足を踏み外した跡も残っています。その中で、遥か遠くに光り輝いて見えるのは、あの桃山の高台で過ごした多感な中学時代の3年間です。席上で加賀見さんから指名があって、野崎さん、梶原さん、田中(山田)さんが語ってくれた当時の思い出話を聞いて、その感を強くしました。
「十六夜会」が終わりを迎えた後、“お互いの交流・意思疎通の場をどう確保するが“という問題が残りましたが、(故)寒川さんが構築してくれた貴重な遺産であるネットワークを活用しない手はありません。
11年前、佐藤さんがメンバーである「フォー・バイ・フォー」東京公演の様子を皆さんにレポートしたのを第1号として、手探りで続けて来た私のブログも1672号に違しました。その動機は。「十六夜会が閉会した後、このネットワークが相応の機能を発揮するに違いない。それまで持ち堪えられれば・・・
【6期評議員の上田英一様より中学校に届いた郵便物から転載いたしました。生憎当日の集合写真が手に入りませんでしたので、6期の卒業アルバムから2点画像を掲載させて頂きました。(副会長 竹中)】
第7期(昭和30年卒)「みしな会」開催(2023年4月6日)
昭和30年卒業生の同窓会:みしな会は令和5年(2023年4月6日)京都宝ヶ池プリンスホテルで11時30分から開催。22名が参加。申し込み24名だったが東京の一人は体調不良、もう一人は会員の付き添いだったが本人元気で不要となったもの。男11名、女11名だった。京都地下鉄の終点、近傍に同志社高(岩倉)があり、ここでの開催を喜ぶ者もいた。当時附属に高校はなく、同志社高(岩倉)へ進学する者もいたのだ。家から2時間近くかかったとか。コロナでこれまで 4人マスク隔離版などで窮屈だったが、7,8名続きのテーブルで配置隔離版もなく、久し振りにゆっくり話せた。もちろん座席はくじ引き、男女まだらになるよう設定されている。筆者左はアサ一のキャスターに似ている伊佐さん、斜め前が毎回必ず出席の中谷君、前は運動の上手かった松本武ちゃん、右が同じ町内だったマーちゃん真左子さん、斜め前が足の速かった赤田君てな設定だった。途中中庭で写真撮影があり済んでからティータイム15時頃まで雑談、スピーチなど楽しい一日だった。
当日死にかけていた2名が参加。一人は肝臓を悪くして、もうアカンと言われていたが幸い悪性ではなく2/3切り取っただけで助かり、眼を悪くして欠席にしようかという大峡さんを連れて参加してくれた。「一人一人いい所がある。みんな同時に並んで一等賞てな最近のやり方はおかしい」と言う。流石主事さんの息子。同感。も一人は 脳血栓があり一寸調子の悪くなって訪れた医院が救急車を呼んでくれ、緊急手術で助かった。付き添いなしで河内の奥から参加。術後の今でも魚釣り、ダンス、卓球、バードウオッチング゙など元気一杯。「手術ならできるだけやって貰え」という。でも腰椎ヘルニアで歩けなくなった私「手術は」と聞いたが、医者に「年取っていてダメダ」と言われたと私が混ぜっ返した。
足の速かった赤田君は観月橋付近の家から学校まで毎日歩いていた。それが足の丈夫だった原因だったという。。ちなみに長距離では3年間常に1位だったとか。 そういえば中学時分 短距離走の場合、生年月日順にグループ、5/16が赤田、5/17米井(故人)彼も運動神経あった、5/18が僕、もう一人前後に誰かいて 入賞は出来なかったのをよく覚えている。
幼稚園で一番背の高かった溝渕君、年取ってやはり数センチ背が低くなったと言う。2番目だった私もそうなので安心した。小学校では大西君が一番高かった。
前の武ちゃん 確かスキーを長くやっていたのでスキーの話。以前幹事やっていたISさん、今忙しいと言う、夫君が入院していて、退院したら、ホームに入って貰うと言う。ホームには行きたくないなと私。主人もそう言っていると彼女。六麓荘に昔いたSさん、男の子3人後をどうするか やはり苦労があるらしい。隣の伊佐さん(旧家で後継ぐため戻った)車で来たと言う。中谷君と盛んに免許の話、認知症診断の話盛んにしていた、今PCに運転免許更新の際の試験問題出てないと言う、以前は出ていた、覚えたものだった。
出席しない人の話も出た。M君、よういじめられていたからな。イジメッコでもあったが結構人気のあったK君はなんで欠席ばかりなんやろう。イジメッコだったA君反応がないな・・ 。
出席率のよい「おっちゃん」、私の行きつけの医院で偶然出会った。昔彼は直ぐ近傍に住んでいて、今も月1行っていると言う。足が痛い 同じモビコール飲んでいる。月20万歩、歩けと言われているとか、私の場合歩行無理するなと言われている。人によってちゃうのやな!
誰かが! 小学校卒業の写真を持って来ていた。流石に誰か判りにくい。「俺何処にいるかな」と反対向けから聞くと、ここやと明示してくれる奴がいた。流石だ!
私は つい2,3日前に附属小学校から来た「小学校同窓会の通知を公開」皆様来て頂だくように勧めた。 15時頃解散。ここは市内の一番北 桜の花がまだ一杯残っていた。来た道を帰った。帰宅16時7分。 色々話できて 非常に楽しい会合で会った。 しかし猛烈に疲れて
帰宅後何もできなかった。 (留岡 寛記)
第3期(昭和26年卒)「つくも会」開催(令和4年11月11日)
昭和26年3月、京都教育大学附属桃山中学校を99人が卒業し、当時の寺本悠先生は同期会を「つくも会」と名付けられた。この73年の間43名が逝去。
令和4年11月11日に京都伏見の料亭「清和荘」にて最後の同窓会を開催したところ、なんと驚くことか25名 (男性11名、女性14名)もの同期生が「最後の晩餐」ならぬ「最後の午餐」に参集した。お世話役の小嶋康博くんと城博之君の両君に感謝。
(文責:松原一郎)
令和4年11月5日に 第17期(昭和39年度卒)の附属桃山幼稚園・小学校・中学校合同の同期会をホテルグランヴィア京都で開催しました。
コロナの影響も懸念されましたが、3年ぶりに藤林先生と生徒31名が集まりました。
感染対策によるスクリーン越しの会話は話し難さもありましたが、この年代の三題噺「介護」「病気」「孫」に花が咲き、当時のアルバムを見ている間に半世紀以上タイムスリップした気分でした。
当日は久しぶりの再会に旧交を温め、次回(2年後の予定)の集いを楽しみに散会しました。
(文責:17期中川)
令和4年10月28日、第20期サッカー部OBが小幡真一郎キャプテンの呼びかけで当時ご指導をいただいた種村裕侑先生をお招きして、桃山のレストランで同期会を開催しました。
平成11年に種村先生の退官時にサッカー部でお世話になったOB全期が集まって以来の再会となりました。我々第20期は9人、残念ながら副キャプテンだった山田耕司君が既に亡くなり8名となりましたが、今回そのうち6人が東京・大阪・京都から集まりました。我々は中学を卒業してはや55年、今年度古希を迎えつつあります。中学時代のように身体は動かなくなり、髪も薄くなりましたが、皆キャラは昔のままでした。種村先生は附属中学の6期生で、我々よりも14歳年上ですが、まだまだお元気です。
当時種村先生はまだ20代後半と若く、指導にも油が乗っている頃でした。当時はなんとか生徒たちを勝たせてやりたいと思っていたと語られました。1年先輩の19期生の時代に夏の近畿大会優勝という輝かしい成績を収められました。我々も夏の近畿大会まで駒を進めましたが、1回戦で滋賀県江南中学にまさかまさかの逆転負けで終止符を打ちました。我々の時代は常に優勝を争った蜂ケ丘中学(釜本氏の母校)を始め、洛北中学・陶化中学・桃陵中学などがライバルで、当時の思い出話に花が咲きました。練習中は水を飲むなという今では考えられないような非常識な時代でしたが、何も事故が起きず幸いでした。小幡君はその後Jリーグの審判員として活躍し、現在も若手審判員の指導に当たる等日本のサッカー界に貢献されているのは我々の誇りです。又三栗茂裕君は44歳まで市民リーグやフットサルでプレーを続けられたと聞いて皆吃驚しました。種村先生にも再会を喜んでいただき、少しは恩返しが出来たかと我々も喜んでいます。皆元気で又の再会が出来ることを祈っています。
尚、写真は左から、水内、灰崎、種村先生、小川、三栗、野田、小幡です(敬称略)
(文責:20期野田)
我々昭和30年中学卒業生は今年80歳になる。令和元年11月15日(金)12時何時もTVで映る昔からある四条大橋河畔 東華菜館で総会を開催した。みしな会員は附属小学校卒も含めるので現在88名、うち30名の出席(出席率34%)、連絡不要4名、返信なし11名で返信者は73名であった。群馬県、横浜市からの参加者もあった。先日亡くなった毛戸節男君への黙祷後開会。連れ合いをなくしたからと本当に久しぶりに参加する者も何人かいた。まだ働いている者もおり、ま、そこそこ健康で時間的余裕のある者が集まったわけだ。車の運転免許返上者も何人かおり、筆者も来春廃車を検討しているが、バスがメチャ減っており免許返上したら何もできないという者もいて、本件はひとしきり話題になった。二次会は東華菜館の四条大橋の対各線上にある菊水ビルの2階でコーヒなど。全員一言は近況をしゃべったがすぐに酔いが回ったせいか記憶にない。昔を思い出すと言うより今生きていることを確認しているということか。来年また集まりましょうと言う事で散会。次回からも中坊敬君が幹事長をやっていただけることを確認している。
返信はがきも含めて総合すると、まだ自分でトラクターを運転している者、自営業で前線にいる者、医者不足で働かざるを得ないお医者さん方、若い者を手助けしている人など元気に働いている人もいる反面、代筆の返信3通、老人ホーム入所者、歩行器使用者、階段落ちてリハビリ中(階段は我々要注意)、その他体調が悪くて出席不可の者数名など寄る年波には勝てないことを伺わせる。
みな一病は抱えながら、今を楽しんで前を向いて行こうということだろう!
この会当分維持できることを確信した一日であった。
(留岡寛記)
第10期卒業のいちまる会、2019年10月5日、京都御苑・御所を訪ね、隣接の御所西京都平安ホテルで喜寿の集いを催し32名が秋の京都で楽しい一日を過ごしました。喜寿の年までいちまる会を続けてこられたことをお祝いするとともに、傘寿に向けて、今後も皆な元気でお会いできることを誓い合う集いとなりました。
同窓生による踊りや歌の演奏、幹事一同の寸劇などで交流、近況等もこもごも語られました。
「笑点」流に「77歳でお迎えが来た時は」・「せくな老後これからよ」に続けてに寄せられた一言です。
*平均年齢伸ばしたい
*ドクターめざして勉強中の孫の成功した姿をみるまではお迎えにくるな
*自然のままに、でも生きている限りは健康でいたい
*迎えが来るまで元気でのんびり暮らしたい
*ピンピンコロリといきたいな
*もう来ましたか天国行?、それとも地獄行?
*人生100年時代後30歳は元気で仕事が出来ればと思っているが
*当年(十年)とって、まだ67歳!まだまだ若い!
*八十歳までは、晴耕雨読を続けるぞ!!
*米寿のときに会いましょう
最後は、カラオケルームで2次会。懐かしの歌などを歌い、明日への英気を養う1日となりました。
松尾佳和(10期)
今回、70歳、古希と言われる年齢に達した私たちは、平成31年3月8日に、京都サウザンドホテルにおいて、「附属桃山小学校43期・附属桃山中学校16期ジョイント同窓会・70歳お祝い同窓会」を開催しました。
還暦記念に琵琶湖ホテルで再会してから10年!仕事や生活にいろいろな変化があった、この10年間だったと思います。皆さんにお会いして、お互いの健闘、健康を喜び合い、またこれからの10年に向けて、知恵を寄せ合ったり、夢を語り合ったりできたら、どんなに嬉しいことかと、幹事一同、思いを一つに準備しました。
当日は、遠方から、また、ご夫婦揃っての参加もあり、いつもに増してにぎやかな、和気あいあいとした一日になりました。二次会、三次会と皆さんの思いは尽きず、夕食を終えてやっと、またの再会を約束して三次会を閉じました。
ご参加の皆さま、おたよりを送ってくださった皆さま、ありがとうございました。
幹事:池田博一、河田(小松)悦子、河村(小田)光子、北村 稔、
紀村益男、佐藤敬二、柴田(真神)由紀子、中川(長谷川)るみ、
服部善郎、松田正代、水谷(酒井)孝子
16期 水谷孝子
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今回は66期の成人の祝いも兼ねて、成人の日の前日である平成31年1月13日(日)に、ホテルグランヴィア京都 5階 古今の間 にて同窓会を開催しました。
当日はキャンセルが1人もなく、それどころか急遽参加者が1人増えました。また4名の先生方(渡辺仁先生、中川竜洋先生、津田優子先生、野上華子先生)にもご臨席賜り盛況となりました。懐かしい恩師や旧友と交わす話は尽きず、豪勢なお料理やビンゴ大会を楽しみました。
第66期 片岡 拓眞
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附属桃山中学校を1958年(S33)に卒業した私たち10期生は、卒業60周年を記念して、2018年11月に同期会を開催しました。
実は、十年前の2008年にも、卒業50周年の記念同期会を開催していました。中学では56人のクラスが二つ、112人が同期会(いちまる会)のメンバーでした。2008年までに12名の方が鬼籍に入っておられましたが、大津市浜大津の琵琶湖プリンス・ホテルで開催した50周年記念同期会には、ほぼ半数の49名の方々が参集して下さいました。
それから10年。さらに16名の方がお亡くなりになり、84名が現役のメンバーとなっています。60周年記念同期会は、日帰りの参加が可能となるように、10日土曜日の昼に、伏見・桃山の老舗料亭、魚三楼で開催しました(十石舟乗船、二次会は黄桜カッパカントリー)。半数に近い38名の方々がお集まり下さいました。記念事業の同期会としては、大盛会であったと思います。
ところで、附属桃山小学校に在籍中に、附属京都小学校などの他校に転校していかれた同窓生が、少なからずおられます。そのうちの4名の方の消息が判りましたので同期会のご案内を差し上げたところ、3名の方が記念同期会になつかしいお顔を現して下さいました。盛会の記念同期会に華を添えて下さったのです。幸せなひとときでした。
(文責 瀬戸口烈司)
2018年8月11日、京都市内の田ごと本店にて、野球部の同窓会(20期、21期、22期)を、野球部顧問の藤林先生ご夫妻をお招きして開催しました。
今回のOB会は10年ぶりで、6月に開催された附属桃山中学校同窓会総会の席で、中学時代のクラブ活動の思い出話で盛り上がり、2回目の開催になりました。関西在住の同級生中心に、遠方に住む友にも声をかけ、先輩、後輩11名が集まりました。藤林先生からの思い出話や近況を語り合いながら、時には気分は学生時代に戻り会話は盛り上がりました。
前期高齢者の仲間入りをして、体に故障を抱えたり、不調を漏らすメンバーもいましたが、次回に集まる時には変わらず元気な姿で出会えればと、強く感じた集まりでした。(文責 21期竹村)
6月9日に、ホテル・ハイアットリージェンシー京都で開催された「附属桃山中学校同窓会総会」の後、京都国際会館ロッジに移動し、お泊り同窓会をしました。夕方、みんなで夜の飲み物、軽食の買い出しをして、宿泊先「国際会館ロッジ」の一部屋に集まって、夜食パーティーをしました。そして、宿泊料金の安さと心地よさに大満足して眠りにつきました。
翌朝は、広い庭園をゆっくり散歩して、日本の伝統様式をモチーフとした近代建築の美の様々について解説を聞きながら、見学しました。半世紀を経てなお斬新な、デザインの数々に感動しました。日本最初の本格的な国際会議場として創設された京都国際会館は、開館52年目を迎えて、現在ニューホールが完成間近となっています。
そしていよいよ、12時から宴会場スワンにおいて、小学校の恩師、鵜飼拓夫先生をお迎えして、22名が揃い、「附桃小43期・桃中16期ジョイント同窓会」を開催しました。一人一人の近況、活躍ぶりの話を聞き、美しい庭園を眺めながら、穏やかな午後のひと時を過ごすことができました。70歳の誕生日を迎える今年、みんなが70歳になった頃、お祝いの同窓会をしよう、と約束して散会しました。
幹事:河田(小松)悦子、紀村益男、佐藤敬二、柴田(真神)由紀子、中川(長谷川)るみ、水谷(酒井)孝子
第16期 水谷孝子
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毎年開催している11期生の同窓会、今年は宇治の地にゆかりのあるものが幹事役となり、河畔にある「花やしき浮舟園」で開催しました。秋に開催するのが恒例になっていたのですが、宇治川沿いの新緑と新茶を是非とも楽しんでいただきたいという思いから、5月29日の開催と相成りました(今年、後期高齢者となる年齢を迎え「一年も空けると参加者が減るかも」との冗談発言も開催を早めた遠因?)。
昼間の開催としたので、東京から日帰りもでき41人の参加となりました。源氏物語の場にもなった宇治の地の紹介も兼ねた新田(旧姓小山)さんの朗読「平安時代の宇治、王朝文化の語り部たち」に始まり、同じ場所での2次会(新茶の玉露と煎茶も楽しみながら)で大いに盛り上がりました。その後、伏見桃山にある吉山勝平先生がこよなく愛した(?)「櫻バー(今は居酒屋)」に場を移しての3次会(19人)、そのあとも何処かへ!
来年は、中部地区の方が幹事。朝ドラ「半分、青い」の舞台、岐阜が開催場所となりました。
文責 塩見哲
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もうすぐ80歳なのにますますお元気な種村裕侑先生をお迎えし、平成29年9月30日(土曜日)午後5時より、京都駅前新阪急ホテル一階「すみれの間」で、同期会を開きました。幹事は久下恭功君、土屋宣之君、橋本(和田)やよいさん、堀川万佐雄君、景山(中西)美代さん。全部で29人集まりました。
以下は超個人的な感想です。
A君、「自分の顔を見て子供が泣くから臨床には向いてない」と嘆く。エリートコースをひた走って来た君にもそんな悩みがあったのか。人生わからんもんやなあ。
B君、英語の先生に皆の前で、「何じゃこの答案は」と叱られてた。今なら人権問題?全然同窓会に来んかったけどよう来てくれたわ。ありがとう。
C君、耳が聞こえにくいそう。自分もそうやけど六十六歳ではちょっと辛いなあ。プライド捨てていっしょに補聴器つけよう。
D君、宇治の店に全国からわんさか客が押し寄せてる、その才能ゆずって。
Eさん、隠岐の島から毎回よう来てくれるなあ。あんまり出席率がいいので、てっきり近くに転居でもしたかと思うてたわ。
F君、医学部入るのに何浪もしたんやて?ええ先生に違いないわ。人柄が顔に出てるし。
G君、白髪やけどいちばん若う見えるわ。うちの嫁さんも一番かっこええて言うてるで。香港で仕事か。えらいなあ。
H君、毎回来てるのとちがうか?阪神大震災で教え子がたくさん亡くなってからかな?
Iさん、一緒に卒業はせんかったけど、都合付けて来てくれてありがとう。一年生の始めは机が隣同士やったね。
J君、確かにサッカーが好きになれたのは「種やん」のおかげやね。試合途中によそのチームが、「おい、付属が負けとるぞ」「えーっ」って言うてた、そんな常勝チームを率いた主将、今回も御苦労さま。
Kさん、フェイスブックで容姿をほめられてたね。いろいろあっても今は幸せそうで何よりです。
Lさん、別れ際にだれかさんとハグしたん、「主人に言うたらあかんで」って失礼やな。自分はそんな口軽うないで。そういう自分はM子ちゃんとハグした。あんたこそうちの嫁さんに言うたらあかんで。
(本庄良文筆)
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平成29年6月11日に、ホテル・ハイアットリージェンシー京都において開催された「附属桃山小学校同窓会総会」に続き、場所を大津市の「ロイヤルオークホテル スパ&ガーデンズ」に移動して、「附桃小43期・附桃中16期ジョイント同窓会」を開催しました。
今回のお泊り同窓会への参加者は10名でしたが、夕食後、一部屋に集まって、おしゃべりしたり、久しぶりにトランプ遊びに興じて笑い転げたり、すっかり中学生に戻ったような心地になりました。
翌日は、再び京都伊勢丹のレストランに帰り、さらに3名が合流して、ランチタイムを楽しみました。
まだまだ話したい気持ちを、また次回にも集まろうね、と言い合って、2日間のジョイント同窓会を閉じました。
幹事:池田博一、河田(小松)悦子、北村 稔、松田(奥谷)正代、水谷(酒井)孝子
第16期 水谷孝子
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2016年9月24日
京都ロイヤルホテル&スパにて
還暦記念京都教育大付属幼小中高合同大同期会が開催されました。
全体の出席者は、122名
先生 16名 桃中は袖岡先生、小島卓先生
生徒 116名(桃中、京中ともに、50数名)
先生方には、持ち時間2分でお話頂きました。
皆さんお元気です。
幼稚園、小中高のアルバムから選んだ写真を次々に
プロジェクターに映して行きます。
あちらこちらから声が上がりました。
市内で入院中の同期からのビデオレター、
スイスからの動画も大画面で見ることができました。
こんな事ができる時代になったんですね。
生徒は各々15秒、卒業からの人生をまとめるには
短すぎる秒数ですが、マイクを持ち順番に近況を語り、
全員の声を聴くことができました。
最後に集合写真を撮り、二次会へ移動、80名超が参加しました。
3次会は、同期がやっているお店で和気あいあいと
集合写真は、120名超で顔が小さくわかりにくいと思いますが、
たくさんのスナップ写真をネットにアップし、出席した人も欠席した人にも
楽しんでもらうことができました。
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3期卒業生「九十九(つくも)会」は今年も京 豆腐料理「順正」にて40名近く集まりました。関東在住の数名も毎年欠かさず出席されています。年齢を忘れて、賑やかに交歓の時を持ちました。
幹事一同
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去る11月4日(土)我が25期の還暦同窓会が「母校中学校」と「セントノーム京都」で開催されました。
母校中学では、還暦記念として同級生の恩田君(堀川高校校長)による講演「教育、不易と流行」で現在の中高教育現場の話を聞き、教室と中庭(当時のままでした)で記念撮影を行いました。母校中学校には土曜日午後にもかかわらずご対応いただきありがとうございました。 夕刻には場所を移し、恩師藤林先生、袖岡先生にもご来臨いただき、またこの同窓会を最も楽しみにしてくれていた中の一人で本年惜しまれつつ他界した須貝君の奥様とご長男にも遠路北海道よりご参加いただき総勢約80名での同窓会宴会を行いました。
最初に恩師関先生を含む物故者9名へ黙祷したあと、英勲(同級生の齊藤酒造)の樽酒鏡開き、藤林先生に乾杯の音頭とお取りいただき宴会が始まりました。すぐに全員タイムスリップし、3時間にも及んだ懇親会でしたがあっという間に夢のような時間が過ぎました。
次回の再会を誓い、盛会のうちに閉会しました。
幹事団:石田博之、石田誠、大谷(西本)恭子、鈴木洋子、本城久美子、常田順介
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10月後半が毎週末台風に見舞われたため心配していたお天気も当日は小春日和の爽やかな秋の日に恵まれました。遠方から来京され、同期会終了後帰宅される方もおられますので、会場は京都駅傍のホテル京阪京都グランデとしました。33名の学友が参集し、夕刻5時半から一次会、同じ会場で8時15分から二次会を開催しました。
ホテルの心づくしのお料理を堪能しながら"語り合い"をテーマにお互いの幼・小・中学校の思い出、学生時代、社会人時代の成功談、失敗談、現在の家族のこと、孫自慢、健康、趣味など、そして、世界に冠たる長寿国日本に生まれたお蔭でまだまだ続くこれからの将来に向けての夢や目標を語り合いました。途中、同期生旧姓斉藤まゆみさんの嫁ぎ先の滋賀県今津の池本酒造の大吟醸小瓶の古希の記念品(写真参照)の紹介、欠席者の近況紹介も交え、あっという間にお開きの時を迎えました。次回幹事は、荒砂正名君、松原(旧姓墨屋)真知子さんの両名で、同期会は多分再来年春の開催となる予定です。
文責:星野 和秋
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超大型台風21号の接近下、75歳の後期高齢者を迎えた私達27名(ドタキャンが3名)は、多分美しい姿を見せてくれないであろう世界遺産・富士山の姿を求めて静岡方面へ新幹線で旅に出かけました。
静岡といえば「徳川家康の駿府城公園」、徳川家康公像、お手植えのミカン、2つの復元された櫓などを雨の中を元気に見物してきました(雨の中、杖を使いながらお元気な方も)。
JR静岡駅前の「ホテルアソシア静岡」の最上階・15階での懇親会では、女性の幹事さんが扮装したハローウィンの魔女たちが大活躍、皆さん大盛り上がりに・・・
いちまる会恒例の「ミニコンサート」(~甦るなつかしい思い出の中で~、キーボード:柏村和可子さん)は、幹事さんの深い思い入れによる中学時代に上演された歌劇「手古奈」がメイン、「手古奈」のソプラノの独唱から始まって、合唱はソプラノ、アルト、テノール、バスと合唱団顔負けのフルメンバー、素晴らしい、ハラショー、ブラボー!
そして、「日本の抒情詩」のソプラノ独唱もあり、「みんなで歌いましょう」は、「山小舎の灯」、「赤とんぼ」、「ふるさと」の合唱・・・故奥谷先生、元音楽部のみなさんありがとうございました。
翌日、バスでの観光は、御穂神社の「神の道」を通って行く世界遺産「三保の松原」、大荒れの雨の中、荒波も、曲がりくねった大きな松の木も不気味に感じられました、残念ながら富士山は全く姿が見えず・・・
楽しい旅の最後のイベントは、TV「華麗なる一族」のロケ地としても有名で、秀峰富士山が正面に見える「日本平ホテル・富貴庵」の大きな座敷でよばれる、旬物、地産の食材をたくさん使われた美味しく素晴らしい「日本料理の昼食」、広い庭園越しに眼下には静岡市街、清水港、駿河湾、伊豆半島が望め・・・正面には世界遺産・富士山があるはず・・・しばらくしたら奇跡が起こりました、「いちまる会」の行いの良い善男善女の願いがかなったのか、恥ずかしそうに富士山のお腹・中腹を見せてくれたではありませんか、もちろん大歓声が・・・
新幹線に乗っての帰り道、無事に帰宅できるかな?と思ったら米原駅到着直前でハプニングが発生、スマホによると北陸線の特急・しらさぎが運休、京都からの湖西線が運転見合わせですべての電車が走っていない、さあ、福井へ帰る幹事さん大慌てで米原駅でホームに飛び降りて,長浜~敦賀~福井を目指されました・・・どうにか、遅れながら最終電車で福井駅へ到着されたそうです。皆さんご心配ありがとうございました(ついている?いちまる会)。
来年(平成30年)は附属桃山中学校を卒業(S33.3)してから60年、盛大な「60周年記念同期会」開催を考え、すでに幹事さん(瀬戸口、大山、柏村、平井さん)は会合を持ったり、アンケートを取ったり、始動し始めておられます・・・愉しみに待ちましょう。
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毎年開催が恒例となっている11期同窓生は、群れで生活している「羊」歳のせいでしょうか。?
9月26日当日は、お天気に恵まれ夏を想い起す陽気になりました。
今年は、「大政奉還」から150年。日本が近代国家への道を歩み始めるきっかけとなった大きな出来事です。徳川慶喜が諸藩の重臣を集め政権を朝廷に返す意向を表明した「二条城」、王政復古の大号令を発する「小御所会議」の京都御所、京都守護の目的で結成された新撰組の壬生頓所跡であった「八木家・鶴屋鶴寿庵」では、スカイガイドさんの名説明を聞き、壬生菜を練りこんだ餅皮を餡で包んだ「頓所餅」をほっこりと賞味、貸切バスで久々の遠足気分を満喫して、京都センチュリーホテルへ17時30分に到着。
宴会では、中野綾子さんの乾杯の音頭で始まり、中学校卒業後60年振りに初参加の中岡隆君の挨拶を懐かしく伺い、全員の近況報告や林千洋さんの地元にある八幡神社の鎮守の森の42%を氏子の了解を得ず利用伐採され、間伐後の森林の修復に頭を痛め、1300年間天然の森として保存されていたものを元に戻す事の苦労話を伺い、板杉が京都観光の現状を報告して、和やかな雰囲気の下に有意義な一日を過ごしました。
来年は、塩見哲さんが幹事長となり宇治組の方にバトンを引き継ぎます。大いにご期待いただき今回以上のご参加をお願いいたします。
文責:板杉 保正
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毎年開催でお馴染みの11期生同窓会です。
今年は「清く貧しく美しく?」をテーマに、秋と言うには未だ早過ぎる、去る9月26日に同窓会を無事終えました。余り観光客のウロウロしない隠れた名所「金戒光明寺」の中の塔頭「常光院」にて亡き恩師と級友の法要から始まり、光明寺の庭園を拝観(普通にこんにちはと行っても見せてもらえません)させてもらい、そこから、マイクロバスに揺られて宝ヶ池のグランドプリンスホテルに到着、宴会の始まりです。伊藤博敏君の司会、高橋雄三君の乾杯の音頭に続いて米勢政勝君の「コンドロイチン講座」と進み、中谷淑子さんと杉本和子さんによるピアノの連弾があり、付属在学中(昭和23年~昭和34年)の「世の移ろい、歌の移ろい」と称して当時起こった事件、事柄、流行った歌を思い出し、歌では皆で合唱したり、独唱(村上良子さん)があったりと懐かしくも楽しいひと時を過ごしました。ピアノ伴奏は梅原恵美子さんと杉本和子さんにお願いしました。最後に吉村侑久代さんと内田晶子さんの俳句と川柳のご披露があり幕を閉じました。
今回はテーマ通りに幹事会の回数も減らしお茶とお菓子、手弁当で済ませました。更に会として2次会もせず個人個人にお任せしました。 来年は板杉保正君を中心に新しい幹事さんが決まりました。多数のご参加をお願いします。
文責 八木正巳
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10月10日(月)京湯元ハトヤ瑞鳳閣にて、平成8年に中学校を卒業してから20年経った節目の年に私達48期生は同窓会を開催しました。
お忙しいなか、お世話になった高木英男先生、杉山勉先生、村田博子先生、北川順一先生にも出席していただきました。
1次会56名、2次会35名、3次会25名と多くの参加があり、なかには海外から駆けつけてくれた人も。
20年ぶりに会う人もいましたが、いざ話してみればブランクを感じさせない空気感が心地良かったです。
部活動や修学旅行、今となっては笑える先生に叱られた話、甘酸っぱい恋の思い出など中学先時代の話題に花を咲かせながら、あっと言う間の楽しい1日となりました。
この様な素敵な会を企画してくださった幹事の皆さん、本当にありがとうございました。
今回残念のがら参加出来なかった方も含め、次回また皆さんに会えるのを楽しみにしています。
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昭和37年「 附属桃山中学校 」を卒業した「 14期の同期会(小学校 ・ 中学校 合同 )」は、1年半毎に開催し京都の春と秋を楽しめる様にしています。折しも「 古希 」を迎える今年は三部構成で開催しました。
一次会は「 奈良 」で、汗ばむ陽気の中 桜を観賞しながらの食事と、「 依水園 」での庭園鑑賞。二次会以降は 京都に戻り「 京都タワーホテル 」で17時から開催。38名の同期生が駆け付けてくれました。
亡くなった友人に黙祷。その後乾杯、食事と歓談の楽しい時間を過ごしました。今回は「 幼稚園・小学校・中学校 」の「 想い出の卒業アルバム 」と「 今 」とを織り交ぜてプロジェクターで投影しました。昔話に花が咲き、途中「 幼稚園 」でお世話になった先生の写真と手紙を披露して懐かしみました。その後「 ゲーム 」で盛り上がり二次会を閉会しました。三次会は展望台で京都の夜景を楽しんだ後、バーラウンジで、夜も更ける迄歓談しました。
次回は 来年の秋「 福田保子さん 」と 「 星野和秋さん 」が幹事です。又 元気に多くの友達と再会出来るのを楽しみにしています。
最後に写真撮影の為 母校を訪ねた際、夏休み中にもかかわらず案内して下さった先生方に、御礼申し上げます。
【 山田賀繼 記 】
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昭和33年3月に附属桃山中学校を卒業した112名(物故者24名)のうち40名(嬉しいことに附属からよそへ行かれた糸岡くん、大谷さんも参加)が集まって、源氏物語の「宇治十帖スタンプラリー」が開催されていた、宇治川畔の「花やしき浮舟園」で盛大に、和やかに開催されました。
先ずは、極楽浄土の宮殿をモデルにした「鳳凰堂」が修復・落慶されて美しく荘厳になった世界遺産「平等院」へ(朝一番に地元の古川くんらが内部拝観券をゲット。ありがとう!
ロビーでひな壇を組んで記念撮影をし、懇親会(大宴会)は座席指定の大広間へ。いつものように元音楽部主催の音楽会はいちまる会の定番行事。宇治開催だけにやっぱり源氏物語の寸劇もあり・・・お面をつけて着物を着た光源氏の君(久世くん)と姫君(浮舟?)(山上さん)が会場をお練り、ナレーターは小野さん・・・大盛り上がり!
超真面目な幹事さん(松尾くん)たちがちゃんと「コーヒータイム」を挟んで(浜松の松田くんからはウナギパイの差し入れも)、花やしきの向かいにある炭火焼「炉庵」へほぼ全員移動して、おしゃべり主体の3次会?を夜遅くまで・・・
宇治でのお泊りは、一番遠く千葉・柏市から参加してくれた前田くん、横浜の藤井くんはじめ4名の方々。翌日は古川くんのガイドで宇治の観光に。マイカーで埼玉・入間市から参加してくれた内川くんは奥さん・大井さんのお墓参りに・・・
次回「2016年いちまる会」は、関東、中部圏のみなさまが幹事を快く引き受けられて、万々歳で閉会させていただきました。
寂しく、残念なことにすでに物故者がいちまる会で24名の多くを数え、近いうちに「偲ぶ会」(仮称)も計画しております。
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毎年開催の11期生同窓会、今年は中部地区在住の6名が幹事となり、三重県の長島リゾートで開催いたしました。中部地区が前回当番の際に、リゾート内の「なばなの里」で幹事会引き継ぎをした時に見た夜のイルミネーションが忘れられず、皆にも楽しんでほしいとの思いから、この地での開催となりました。
しかし、京都を離れての夜を楽しむ1泊旅行、しかも、名古屋駅からバスで40分という地の利の悪さは、多くの人に集まってもらうには不安要因となりました。この悪条件を克服すべく、2月から11月までに6回の幹事会を重ねて入念な準備を進めました。日帰りの方でも夜のイルミネーションンを楽しんでもらえるよう早めの宴会、名古屋駅で出迎えてバス乗車まで同行する、などの方針を決めて案内を出しました。その結果、宿泊27名、日帰り7名、合計34名(女性15名、男性19名)と、まずまずの参加がありました。
今回は、案内の折に中学時代の「思い出コメント」を聞いてみました。欠席者も含めて36名からの返事があり、最も多かったのは2年生の開始時に呉竹校舎(山の上)から下の校舎(現在地)へ引越したことで、われわれ自身の手で机や椅子を運んだのが印象に残っていたようです。このほか、部活、修学旅行、学芸会などもありましたが、米国人教師クライムスさんによる英会話授業も多くの人の思い出となっていました。
宿泊はリゾート内の「ホテル花水木」で、17時半から会食を開始し、この1年に亡くなった級友二人を偲んで黙祷ののち、お料理と懇談を楽しみました。会食終了後に、「なばなの里」に移動して見学したイルミネーションでは、8000坪の庭園に敷設された何百万灯ものLEDの煌めきを堪能しました。暗闇での大勢の見学者の中で、迷子になる人が出るのではと心配がありましたが、そこは気心が知れた仲間同士、無事見学を終えることができました。
ホテルに戻ってからは、幹事部屋に全員が集まっての恒例の二次会で、夜が更けるまで語り合いました。
来年は、京都での開催です。今年以上の大勢の友に会えるのを楽しみにしています。
(文責:西 源二郎)
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昭和30年附属桃山中学校を卒業した者を中心に、附属小、中に在籍した者を会員とする「みしな会」(小:34期、中:7期)は平成27年11月26日(木)喜寿同窓会を伏見の老舗鳥羽伏見の戦いの弾痕の残る「魚三楼」で正午から開催した。
これに先立ち、腹ごなしもあり 昔の場所を懐かしもうと散策を計画。10時に近鉄丹波橋駅東口に13名が集合。附属小学校の前を通り 現在の中学校へ。佐々木副校長先生に門を開けて頂き 現状概要を伺うとともに当時の様を懐かしんだ。東へ 我々在学時の中学校は今「呉竹支援学校」になっている。西側の斜面は桜の木が大きくなっており60年の歳月を意識するとともに 昔この斜面を転がり落ちたボールを取りに この石垣を飛び降りたものだが今はやけに高く感じられた。桓武陵から治部池に行ってみようという者がおり採用。松並木両側に分かれて石投げ、あるいは雪合戦などをした当時を懐かしんだ。
宴会は37名が出席。担任で生存しておられる横井先生ご夫妻は体調の都合で御欠席。遠方出席者は群馬、東京、北九州、米子など。お嬢様付き添いが1名。物故者に対し黙祷。我々は平均余命男で10年、女で14年 これを健康で過ごせるよう「努力」しようという挨拶があり開宴。花籠御膳に舌鼓を打った。各自1分間スピーチでは年寄になる程話が長くなるものだが 「信仰によって救われ、今生きていることに感謝している」、「娘が生き続けられるように、まだ一所懸命働いている」など キラリとした内容を包みつつ 簡潔に50分程度で終了。皆まだ呆けていないことを確認。2次会は大手筋京町のクレタケ珈琲店で22名の参加。遠方から来た人を慰めるためさらに12名が四条で3次会を開催。ようやるよ!
皆 何か不具合を抱えているが 今回も出席できたことを感謝し 来年も元気で出席できるよう祈念して散会! 楽しい会合であった
(留岡 寛 記)
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6月13日に、京都ホテルオークラにて開催された、附桃中同窓会総会に出席の後、立命館大学内レストラン・Tawawaにて、夕食も含めた二次会をしました。
その後、皆で夜の京都市内をそぞろ歩きしながら、宿泊先のホテル日航プリンセス京都に再集合して、三次会。東日本大震災でたいへんだった、いわき市から参加の同窓生が、得意の歌声を披露してくれ、その明るさと元気に、逆に励まされた私たちでした。
14日は、12時から、京都センチュリーホテルにおいて、「附桃小43期・附桃中16期ジョイント同窓会」を開催しました。附桃小での恩師、鵜飼拓夫先生、清水光夫先生をお迎えし、小谷利夫先生からのメッセージもいただいて、27名が参集しました。その中には、卒業以来何十年ぶりかという方、福島県、青森県、神奈川県、東京都など、他府県からもたくさん来てくださり、嬉しい再会を果たせました。
仕事の面では、ほとんどの方が現職から離れてさまざまに新しい生活を始めておられる中、今も現役で仕事を続けている方もあり、特に海外で活躍中の同窓生のアジア見聞録のお話、映像はとても興味深いものでした。一方、闘病中の同窓生の話や、当日飛び込んできた同窓生の訃報に、悲喜交々の私たちでした。
皆さま、どうぞ、どうぞお体をお大切に。そして、亡くなられた友のご冥福を心よりお祈りいたします。
幹事:池田博一、河田(小松)悦子、北村 稔、佐藤敬二、柴田(真神)由紀子、
松田(奥谷)正代、水谷(酒井)孝子
第16期 水谷孝子
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私たちは、34年小学校卒の方々も一緒に、1年半置きに、春、秋と同期会をしています。
今回は、ホテルモントレにて10月25日、秋の集まりを催し、35名の方が集まりました。
前年に亡くなった友人二人を偲んで黙とうをささげたのち、フランス料理に舌鼓を打ち、思い出の曲を合唱し、和気あいあいのうちに2次会へ。
同じホテルのバーラウンジで、26人が集い、夜も更けるまで歓談しました。
次回、来年の春は田原民子さんと山田賀継さんが幹事となって、小旅行も企画されているようで楽しみです。
幹事 藤田恭子 由里知久
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我々の同窓生仲間のうち、現在、アメリカに、尾関 雄二さん(イリノイ州)、平井 英夫さん(カルフォルニア州)、Burge(福屋)恵子さん(テキサス州)が在住されています。
2010年(平成22年)11月の『還暦記念同窓会』において、「還暦を迎え、時間的にも多少都合のつく時期でもあり、アメリカで同窓会をやろうでは!」と提案がなされました。皆に呼びかけながら、3年間の準備期間を経て、この2014年(平成26年)4月にアメリカ同窓会の実現となりました。
日本からは、小学校時代の恩師、岡本泰一先生を含む9名が参加し、アメリカ在住の3名と合流し、旧交を温めながら、楽しんできました。
◎日 程:2014年4月8日(火)~15日(火)(6泊8日)
◎行き先:サンフランシスコ(フィシュマンズ・ワーフ、ゴールデン・ゲート橋、サウサリート、アルカトラス島、ゴールデン・ゲート・パーク、チャイナタウン、ケーブルカー、日本街)
⇒ヨセミテ国立公園(ヨセミテ・ビレッジ、ブライダル・フォール、ヨセミテ・フォール、スプリング・ブリッジ、ベナール・フォール、マリポーサ・ワヲナ)
⇒ラスベガス(アリアリゾート&カジノホテル、ラスベガスストリップ散策、ZARKANA鑑賞)
⇒グランドキャニオン(グランドキャニオンツアー小型飛行機19名乗り)
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去る11月22日(土)同窓会が「母校中学校」と「セントノーム京都」で開催されました。
これまで3、4年毎に開催してきた同窓会ですが次回となる還暦(3年後)時に盛大にやるための助走との位置づけでこれまで同窓会に来ていなかった人にも来てもらって「タイムスリップ」の楽しさを感じてもらおうと幹事団一同100名(全員で142名)という高い目標?を掲げて準備を進めました。FB(facebook)で25期同窓生限定サイトを作って中学時代のお宝写真なども掲載したり、当日まずは母校に集まって校内見学イベントを計画するなどの盛り上げを行った結果、半数超の72名の同級生と、藤林先生、関先生、袖岡先生の担任いただいた3名の恩師にご出席いただき盛会となりました。(中学校見学では瓦谷同窓会長、藤原先生、溝部先生に大変お世話になりました、この場を借りてお礼申し上げます。)
学校では、当時の面影の残る各教室を見て懐かしみ、卒業写真と同じ場所で一同で撮影したりで楽しみました。場所を移しての3時間にも及んだ懇親会もタイムスリップした者同士であっという間に夢のような時間が過ぎました。3年後の還暦時の再会を誓い、盛会のうちに閉会しました。
幹事団;沢田幹也 河林博美、上田(前田)五七生、奥田容子、常田順介
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去る11月6日(木)、卒業60周年の同期会(十六夜会)が「京都センチュリーホテル」で開催されました。
毎年開催と決まって初年度である今年の会は「あなたに会いたい人がきっと来る」というキャッチコピーで呼びかけたのですが、それに応えてくれた出席者は男女15名ずつの計30名。いつものことですが、お互いに顔を合わせた瞬間から、60年余り昔の生徒に戻って、当時の話に花が咲いていました。同期の仲間が当時の記憶を文章にまとめて配布してくれた小冊子も、その会話に一役かっていたように思います。そんな皆の様子を見ていますと、同じ思い出を共有した昔の仲間と「格好付けずに」喋ったりすることが、その若々しさを保つ一因になっているような気さえしてきました。
宴の最後には「今日の日はさようなら」を、歌唱指導をした上で、何と二部合唱で歌いました。賑やかに、そして和やかに、二次会も含めて4時間半もホテルで喋ったのに、物足りない連中は、場所を変えた三次会で、また1時間以上喋っていたようです。若い頃の会ですと、終電まで飲んでいたとかの豪快さもあったようですが、さすがに年齢を考えて、そこまではなかったのではないか、と想像しています。
来年、また会う日まで皆が元気で過ごしてほしいものです。
幹事 佐藤道雄 阿部周子
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秋晴れのすみわたった空のもと、南禅寺順正にて、平成26年10月10日(金)九十九会を開催しました。
出席者男女合わせて39名。開会の挨拶のあと、故人となられた方々に対して黙祷を捧げました。
乾杯のあとは湯豆腐で有名な「順正」のお料理にみなさん舌鼓を打ち、和やかな宴とな
りました。近郊報告あり、小学校、中学校での唱歌を全員で合唱し、遠い昔にかえって思い出にふけりました。
元気が一番の宝物だと健康に感謝した和気あいあいのひと時でした。
26年度九十九会世話役
小嶋康博 森田厚子
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毎年秋開催が恒例となった11期生(誕生日を迎えると71歳)同窓会、今年は9月29、30日、嵐山の地で開催しました。
51人の参加を予定していたのですが、直前になって「急に出張が入った」以外に「骨折をした」、「手術をすることになった」、「伴侶の体調が思わしくない」等、なんとなく身をつまされる理由で欠席する人が出てきて、卒業後初めての参加者2人を含め、45人での開催となりました。
昼食を取りながらの歓談、初めて企画した「ミニ講演」、名勝嵐山の散策、そしていつも通りの夜を徹しての2次会(と云いたいところですが11時過ぎにはお開き、歳ですね!)などで大いに盛り上がりました。
ミニ講演では中谷淑子さんが「だれが生徒か先生か」と題して啐啄同時(そったくどうじ)が重要なことなどを自らの経験を踏まえて話されました。付属の恩師に想いを馳せたのは私だけでしょうか。西源二郎君は「さかなのオス・メス事情」と題して魚が子孫を残すために色々な工夫(雌雄同体、一夫多妻、一妻多夫など)をしている実態(生き残るための必死さ)を紹介することで、少子化に対し警鐘をならしてくれました。思い出に残る一時を醸し出していただいたお二人にお礼申し上げます。
いささか多い幹事団(8人)が6回の会合(宴席?)を重ね、侃々諤々(かんかんがくがく)(喧々囂々けんけんごうごう?)、「昼間開催にしてできるだけ多くの人に参加してもらう」、「でも遠路から来る人のためには宿泊施設の確保が必要」、「古希を過ぎたので誰かに人生を語ってもらう」等の議論を踏まえた結果の企画でした。開催地は、嵐山に恋焦がれて移住した幹事(芦田さん)の推薦で、また、食事、宿泊、散策路なども知り尽くした人ならではの選定でしたので満足していただけたのではないかと思っています。
来年は、中部地区の同窓が幹事役。11月頃に長島リゾートで開催するとの紹介があり、どのような企画が準備されるのか楽しみです。
(文責:塩見 哲)
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10期卒の25名が敦賀市の民宿旅館「伝平荘」でおいしい活魚料理をいっぱい頂きながら中学時代をなつかしく思い出して夜更けまで歓談しました。一日目は敦賀市内の一の宮氣比神宮や金崎宮、敦賀ムゼウム(杉原千畝記念館)等を散策し、二日目は白砂青松の気比の松原海岸で地曳網漁の体験をしました。海に投げられた網を二手に分かれ 子供に戻ってよいしょ、よいしょと引くのですがその重かったこと!老体にムチ打っての大漁でした。敦賀は京都から1時間余りで行けるので日帰りの人も参加でき、日本海の美しい眺めもたっぷり楽しめました。
(柏村和可子)
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平成25年秋の叙勲で藤林修一先生が瑞宝双光章を受けられました。20期、21期の野球部でお世話になったメンバーを中心に四条の東華菜館に集まり、お祝いの会を催しました。先生の天皇陛下に拝謁を受けられたときの様子や昔の中学時代の話で大いに盛り上がりました。先生のご健康とますますのご活躍をお祈り申し上げます。
(参加者)20期 松野吉孝 大谷武生 種村初実(以上野球部) 龍村薫(水泳部)
福井(平田)景子(ESS)
21期 竹村国彦 平松謙一郎 森本成美 瓦谷泰浩(以上野球部)
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我々昭和29年卒業の6期生は、会の名前を十六夜会と称しますが、例会開催報告をさせて頂きます。
平成25年10月16日(水)、京都センチュリーホテルに於きまして、午後12時半から28名の参加者を得、一部の方は延々深夜の三次会?までの長時間にわたって懇親の輪を深め、心楽しいひとときを楽しみました。
思い返して見ますと、我々6期の卒業生は100名弱でしたが、卒業来この日までに誠に残念ながら17名の仲間が旅立ちました。しかし、残り約80名の会員の中から、(例年から比べればやや少ない乍ら)28名の「第二の青春を謳歌している元気な若者達?」の出席を得てのこの日の開催となった次第です。
世間的には、我々75歳の年代の者を(失礼な表現ではと思うのですが)後期高齢者と言うようですが、話題は定番の健康問題のみならず、これからの素晴らしい第二の青春?時代をどのように生きるのかに集中し、尽きることのない懇談が続きました。
台風という招かれざるお客様までも、この日に入洛ということになりましたが、その中をわざわざ駆け付けてくれた関東組が3人もということで、十六夜会の固い結束振りに全員が改めて納得。中学校を卒業して、60年目を迎える来年に次回の再会を約束して、素晴らしい一日を終えました。
(幹事 荒木邦彦、福井浩子、阿部周子)
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今年は初めて滋賀県で開催することになり、参加者の皆さんは9月29日(日)14時30分に琵琶湖ホテルに集合しました。15時30分から美しい琵琶湖のクルーズを楽しんだ後、17時から琵琶湖ホテル3階の琵琶湖が一望できる〔オレンジ・ブラウン〕に44名(女性24名、男性20名)の同窓生が集い、懇親会がスタートしました。(横井先生はご欠席となりました。)
今年は、「さかのぼり同窓会」をテーマに現在から中学校入学までの過去を映像で振り返る村瀬さん制作のスライドショー(プロジェクターとスクリーンは林千洋君が岐阜から、パソコンは魚住君が大阪から持参していただきました)で皆さん懐かしい映像を見ながら、過ぎ去った時代の思い出を語り合い、あっという間の3時間でした。懇親会終了後、5階和室に場所を変え、二次会を続行。22時に無事、終了しました。宿泊された22名の皆さんは、それぞれの部屋から琵琶湖の夜景を楽しまれました。
今年の同窓会は、多くの同窓生の力添えを得て終了することができました。
来年は、京都市内で開催の予定です。再会を楽しみにしています。皆さんお元気で。
(文責 伊藤博敏)
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私たち21期生(昭和44年卒業)もついに還暦を迎える年となりました。ということで、9月21日(土)けあげのウェスティン都ホテル京都で還暦同窓会を開催いたしました。2~3年毎に同窓会を開催し、旧交を温めていますが、今回も33名が集まり、昔話に花を咲かせました。そして、7年後にはみんな元気で東京オリンピックを見に行こう、と先の約束まで交わしました。とりあえず、次回は中学校同窓会総会と同日開催しますので、また、多くの方の参加をお待ちしています。
(幹事 瓦谷泰浩 田村(北田)滋子)
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4月13日、朝から海津大崎の桜、2次会は、夕方6時からリーガロイヤルホテルで14期の同期会が、開催されました。朝から、淡路島震源の地震の為、乗る予定だった、湖西線が、止まったりとハップニングがありましたが、無事、乗り継ぎ乗り継ぎでマキノに着き、乗る予定だった船には、乗り遅れましたが、午後の船に乗れて、きれいな海津大崎の桜を琵琶湖から見ることができました。晴天に恵まれ、琵琶湖、真っ青な空、桜のコンビネーションは、きっと皆の心に残ったと思います。リーガロイヤルでの楽しいお食事とおしゃべり、皆、小中時代に戻って瞬く間に時間が過ぎていきました。今回の幹事さんは、竹村君と吉川さんでした。朝のハップニングで幹事さん大変だったと思います。お疲れ様!!写真係りは、山田君、素敵にアレンジしてCDにまとめてくださいました。次回は、来年の秋開催の予定です。幹事さんは、由里君と藤田さん、皆さん次回も元気にお会いしましょう。
(文責 鎌田陽子)
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再び、お泊り同窓会を希望する声が上がり、今回は、附桃中同窓会の後輩のご紹介で、「エクシブ京都八瀬離宮」において、「附桃小43期・附桃中16期のジョイント同窓会」を開催しました。小学校での恩師、鵜飼拓夫先生を迎え、16人が集まりました。
ご馳走と温泉と、そして何よりうれしい皆さんのたくさんの笑顔と再会して、優雅な癒しのひと時をご一緒に、と計画しました。部屋は和洋室の広々とした部屋で、買い出ししてきたおつまみや飲み物を広げて二次会をしました。お店とは違う、くつろいだ二次会でした。
2日目は、オリジナル京の冬の旅として、土井志ば漬け本舗の工場見学、さらに京都伊勢丹の美術館「えき」で開催中の「ロベール・ドアノー、生誕100年記念写真展」を見て、散会しました。
食べる、話す、にさらにゆっくりお出かけが加わりました。これからも、こんなお出かけをみんなでしたいね、元気でね、と言いながら、家路につきました。
私達はいよいよ60代半ばとなり、人生の転換期に入っています。
それぞれの暮らしが少しずつ変わってきているのかな、と感じました。
事:池田博一、市田(余島)裕子、河田(小松)悦子、北村 稔、
佐藤敬二、水谷(酒井)孝子
第16期 水谷孝子
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付属桃山中学校11期生(小学校38期)の同窓会を11月25日(日)京都駅近くの梅小路公園内の「緑の館」で開催しました。「緑の館」とは京都在住の方でも余り聞きなれない名称かもしれませんが、今話題の「京都水族館」と同じ敷地内にある建物で、この建物の周りには隠れた名園「朱雀の庭」があり、その庭と京都の秋の雰囲気を味わいながら12時より昼食をし、その後、「朱雀の庭」を散策したり、茶室では同級生による茶の湯、煎茶のお手前を楽しみ、又、幼い頃の遊びを懐かしみ駒回し、おじゃみ、折り紙等を楽しみました。
今回は横井先生には残念ながら耳管開放症による体調不良でご出席願えませんでしたが、47名(内2次会のみ参加者2名)もの多数の参加者があり幹事一同嬉しい限りでした。
17時からは西洞院・高辻のコロラド・コーヒーに場所を移して二次会を夜遅くまで同級生の所属するバンドの生演奏で楽しみました。
来年の同窓会は滋賀県方面で行う予定となっています、また多くの友と再会できることを願わずにはおれません。
(文責 八木正巳)
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私たち8期生と附属桃山小学校35期生は、合同で、「いしずえ会」と名づけた同期会を開催しています。
過去、2005年11月に信州蓼科方面、2007年6月に伊豆修善寺方面、2009年5月に鳥羽と、3回連続で一泊企画が続いたあと、前回会合は、「祝古希 中学校卒業55周年記念 いしずえ会」と位置づけて、2010年11月11日の夕方から、京都ロイヤルホテルで開催されました。
30名が参加。東京・四国・広島等から遠来の友の顔もありました。乾杯、しばらく歓談のあと、一人ずつ近況紹介。何人目かに、上野ヨウコ先生が「今の私の気持を歌に託します」と仰って、しっとりと語りかけるように「千の風になって」を熱唱され、聴く人の心を打った。みな拍手大喝采。ますます雰囲気が盛り上がり、そのあと、他の人からも歌が続きました。
その次は、ときどき京都会館で公演もするという谷弘行君の手品。次から次へ飛び出す不思議な芸を、皆で大いに楽しみました。
2時間ほどの食事会のあと、別室へ移って二次会。夜遅くまで旧交を温めました。田中靖夫・高田の両幹事と、写真係の鳥井君、お世話をありがとう。
次回は、星合・武市・片岡・矢部・金澤・伊吹の6名が幹事となり、本年7月1日~2日に鳴門で一泊して、渦潮等を楽しみたいと思っています。また、多くの友と再会できたらと願っています。
(8期評議員 伊吹興一郎)
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附属小34期、中学7期 以て三・四・七(みしな)会は11月19日(土)、20日(日)奈良猿沢荘を中心に開催された。小学校2年時の遠足で興福寺五重塔を背景に階段で写真を撮ったのを思い出すことだった。第一日目午後からの奈良散策予定は 生憎の雨で奈良美術館と奈良博物館での鑑賞に切替たが「関西文化の日」とかで入館料は無料。思わぬ拾い物をしたという。
18時からの懇親会には、先生方はご出席願えなかったが、生存確認者83名中36名が出席。東京や米子から駆けつけてくれた者、何十年振の者もいた。抽選で席を決め、料理をつつきながら歓談すること2時間半、各自1分間スピーチで近況を報告しあった。最後は全員で「もみじ」を輪唱してお開き。続いて2次会、ここでもカラオケ、皆の合唱で賑わった。25名が宿泊。翌20日は雨も上がり、10時から散策。小川孝子さんが機で織ってくれた「みしな会」の旗(写真参照)を先頭に掲げて、東大寺、二月堂、三月堂、春日大社を経て、昼食後は新薬師寺へ、皆で古都の秋を楽しんだ。拝観後自由解散。奈良町散策から更に打上げ会をする者もいた。
12月8日はまたハイキングをやるという。ようやるね!
(文責 留岡寛)
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前回のお泊り同窓会から早くも2年がたち、やはり小・中合同で集まりたいとの声が多く、今回は京都駅内にある「がんこ京都駅ビル店」において、お昼をご一緒する集まりを計画しました。足の便と手ごろな会費、ということで決まりました。
附桃小で担任をしてくださっていた、小谷利夫先生、鵜飼拓夫先生、清水光夫先生をお迎えして、31人でにぎやかなひと時を過ごしました。
二次会は、同期の竹中洋さんが提供されている、「Conference Salon まゆせ」で、自由なくつろいだ午後を過ごさせていただきました。
長い病気療養をしていた友人と再会でき、久しぶりの出席者も増えて、嬉しい会になりました。
幹事:河田(小松)悦子、北村 稔、柴田(真神)由紀子、中川(長谷川)るみ、
松田(奥谷)正代、水谷(酒井)孝子、森(根岸)協子
第16期 水谷孝子
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毎年秋開催が恒例となった我が11期生(誕生日を迎えると68歳)の同窓会、東京在住者が当番の今回、32人の参加を得て10月16日~18日に開催しました(19日には有志でゴルフ)。
今年は、西君が園長を務める葛西臨海水族園と田原君が判事を務める最高裁判所の見学、高田君が新宿御苑で営むラーメン「夕やけ」での食事、中学卒業旅行で立ち寄った箱根での宴会と散策、と古希近くの我々にとっては些か強行軍とも思える企画でした。が、何時ものことながら、深夜に及ぶ二次会などワイワイガヤガヤ、中学時代に戻っての楽しい一時でした(興味のある方は覗いてください http://fuzokutyu.blogspot.com/ )。また、9月にご逝去された吉山勝平先生(3年間担任)の思い出に浸り、改めて勝平先生の厳しい中にも暖かかったご指導に感謝した一時でもありました(合掌)。
今回は、水族園や最高裁見学に同窓生に加えて東京在住のご子息、お孫さんなど10人の参加もあり、賑々しく開催できましたが、毎年参加していただいていた横井先生の参加が遠路のために叶いませんでした。来年は、八木幹事のもと、地元京都での開催となりますので、横井先生を囲んでの懇談を楽しみにしています。今回の催しに参加できなかった同窓からの返事に「年齢のせいか体調を崩すことが多くなりました。ついでに顔も崩れてきました」とありました。悔しいけれど同感。顔はさて置き、身体には気を付け来年の再開を期したいものです。
(文責:塩見)
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私たち21期(昭和44年卒業)では21世紀に入ったころから2、3年に一度のペースで同窓会を開催しております。今回は平成23年8月13日(土)に蹴上のウェスティン 都ホテル京都において、31人が集まり開催いたしました。今回は東京や名古屋、岐阜、鳥取など遠来の、それも、卒業以来のような顔をあり、本当に懐かしいひと時を過ご すことができました。一人ひとりの近況報告に始まり、各テーブルでは昔話に花が咲き、そして、都ホテルに勤務する北村君の計らいで、当日誕生日のメンバーにサプライズ があったりで、あっというまに楽しい時間がすぎてしまいました。
次回は平成25年秋にいよいよ還暦同窓会として、盛大に開催したいと思っております。多くの方のご参加をお待ちしております。
幹事 瓦谷泰浩 田村(北田)滋子
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早いもので今年も梅雨を迎える季節になりました。昨年の集まりで「次回は東京在住者が企画を」とのことでしたので、「中学校の修学旅行で行った箱根」と「田原君が在籍する最高裁」をポイントに計画いたしました。
また、この4月に西君が葛西臨海水族園館長に就任し、この機会に水族園を見たいという人も現れましたので、同窓会の前日にオプションとして企画しました。もちろん、ゴルフも同窓会の翌日にオプションとして企画しています。
今回の同窓会宿泊は箱根「強羅一の湯」を貸切で使用します。24時間温泉に入れます(露天風呂付き部屋もあり)し、全館貸切ですので昔に戻った談笑、懇親を心置きなく楽しむこと請け合いです。幹事団で宿泊し確認してきましたので、皆さん、奮ってご参加ください。
1.開催日
平成23年10月17(月)、18日(火)
オプション:16日(日)、19日(水)
2.スケジュール
17日:11時20分頃東京駅集合
(京都08:29発ひかり 東京11:10着)
昼食:レストラン「けやき」
(11時45分頃から霞が関ビル35階東海大学校友会館倶楽部)
最高裁判所見学(13時過ぎから)
(新幹線こだま等で 東京―小田原―箱根 移動)
懇親会(19時頃開宴:箱根強羅温泉「強羅一の湯」泊)
18日:箱根散策(貸切バス利用、新幹線小田原駅で16時頃解散)
(オプション)
16日:葛西臨海水族園(午後を予定、夕食:高田君の店「夕焼け」)
(16日の宿泊は各自でご手配ください)
19日:ゴルフ(箱根湖畔ゴルフコース、宿泊場所は17日泊に同じ)
3.費用:
17,18日の参加者は約2万円(除く:東京ー小田原の新幹線料金)
4.その他
17日「強羅一の湯」に直行する方は15時にはチェックイン可能です。
(幹事:石井光世、西脇やよひ、海老洋、佐々木光信、塩見哲、西源二郎)
*) 6月1日に出された11期の同窓会開催案内ですが、こちらの手違いで
掲載が遅くなってしまいました。関係各位に深くお詫び申し上げます。
尚、原文中の返信用葉書に関する部分は省略させて頂きました(植松記)。
今年は平成23年、中学を卒業したのは昭和33年3月、それから53年が経ちました。鳴門ツアーの出発日は6月3日。「3」ばっかりのオンパレード、三々五々、燦燦と「参加」するしかない。 さあ、いちまる会・同期会旅行の始まりはじまり!
案内を送付した途端、3月11日には地震、津波、放射能、竜巻の東日本大震災が発生!(被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます)。中止、自粛の声もありましたが、イクイクと19名の人から熱い熱意と参加のお申込をいただき、幹事たちは感謝・感激でした。
京都駅から中型サロンバスで出発。明石海峡大橋の淡路SAでは、童心に戻って海抜135mの大観覧車に乗車のハプニングもあり、12分間の空中散歩を楽しみました。(高所恐怖症の人、ごめんなさい!)
宿泊は、地中海リゾートをテーマに、海を見下ろす素晴しいロケーションの高台に建つ「グランドエクシブ鳴門」。そしてひとクラス上のリゾートライフが楽しめる、「サンクチュアリ・ヴィラ・ドゥーエ(スーパースイート)」のワンフロア貸切の贅沢旅行を楽しみました。
夕食&懇親会は見晴らしのよいお部屋でホテルのサービスの創作フレンチを堪能し、最後はいつものように全員で仲良く「うさぎ追いし、かの山・・・」の「ふるさと」を合唱し、改めていちまる(10期)会の結束力の強さを誇りに思いました。
全員参加の二次会は幹事の部屋で、お酒よりも中学時代の感覚のまま、日付が変わるまでペチャクチャ歓談と笑いの中で、53年の歳月の流れを忘れるひとときでした。
翌日は、朝食も贅沢な個室で、オススメの「餡入りおかゆ」に舌つづみをうち、昼食は、よくこんな場所を見つけたね~の声もあった、「鳴ちゅる・鳴門うどん」の「舩本うどん」で素朴なおでんと打ち立て湯がき立てのうどんを愉しみました。
観光は、四国八十八ヵ所のさわり「一番札所・霊山寺」へお参りを・・・
鳴門といえば、世界三大潮流と世界最大規模の「鳴門の渦潮」。ちょうど干潮の時間に合わせて、渦上45m!の大鳴門橋遊歩道「渦の道」を驚きの海上散歩!
天候にも恵まれ、帰宅後、参加者から「楽しい至福の2日間をありがとう!」とお礼状をいただきましたが、幹事の方からは、「この日に向かって愉しい至福の1年間を過ごさせていただきありがとう!」でした。
(10期 幹事一同)
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18期還暦記念同窓会(2010年11月27日開催)の報告
2010年11月27日(土)、京都教育大学附属桃山中学校(第18期)還暦記念同窓会をホテルグランヴィア京都にて行いました。
当日は中学校の恩師、種村祐侑先生と小学校の恩師、岡本泰一先生にもご出席頂き、東京、名古屋、四国、またアメリカから、途中参加のメンバーも含めて合計42名の参加で、盛大に、和やかに旧交を温めました。
同窓会の始め頃には顔を見ても名前が思い出せなかったのに、暫くすると直ぐに40数年前にタイムスリップして大いに昔話に花が咲き、また先生方も若々しくお元気そうで、当時の我々のことをよく覚えておられたことには大変感激し、嬉しく思いました。
幼稚園~中学校の写真をスライド放映しながら、全員が一人ひとり壇上で近況を報告し、初恋の人への告白や、離婚や結婚報告もあり、還暦という節目に、それぞれの人生の悲喜こもごもを皆で分かち合いました。
現在、同期メンバー3名がアメリカ在住で、2年後にアメリカで同窓会を開催しようという提案があり、次回の再会を誓いました。
多くの方々のご協力で還暦同窓会が開催でき、本当に有り難うございました。
これを機に、また新たな交流が生れることを期待しています。
(18期 藤花、田制)
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■みしな会(第7期同窓会)開催のご案内
□日時:平成23年11月19、20日(土、日)
□場所:奈良猿沢荘 詳細は今後決定の上お知らせします
幹事(持回り):堀千恵子、勝見真佐子、小山晶子、中坊敬
常任幹事:大西堂文
■みしな会 山城青谷/観梅の会 ご案内
□日時:平成23年3月5日(土)
□集合場所:JR奈良線/山城青谷駅
我々の「みしな会」は京都学芸大学附属桃山小学校卒業生(第34期)、同中学校卒業生(第7期)を中心に構成されている。卒業しなくても両校で一度在籍したことがある者も含めた幅広の会である。34期の「ミ、シ」、7期の「ナ」併せて「みしな会」と称する。
漢字を当てはめるなら「美級会」である。数年前の会合で皆が名前の候補を持ち寄り投票で決めた。
年1回総会を開いているが、最近は一泊が多くなった。通常参加者は30名程度である。今年は小学校2年生の時遠足の集合写真が残っている奈良である。
他に春夏に近郊でハイキングを行っている。これは吉田靖夫君が案を作り、所定の時刻場所に集まり、定刻になれば居る者だけでサッサと出発する、割と自由な集まりである。終れば近くの適当な場所で皆で一杯やるのが通例である。行き先にもよるが毎回十数名は参加する。女性の参加者が多い。
他に中坊敬君の呼びかけで琵琶湖支流の川での鮎釣会(釣って 焼いたりして食べる)や、ゴルフの会もやっている。上記案内の観梅会も去年からやっている。
また八ヶ岳山麓に別荘を持っている者の計らいで彼の近くの宿泊施設に泊まって山歩きをするという催しもある。自家用車乗り合わせやJR利用など道程は自由である。
現地に詳しいメンバーの案内で、同期生に参加を呼びかけ、ベトナム・カンボジア(アンコールワット)やバリ島旅行なども有志で行っている。このような会合は メンバー本人だけでなく配偶者同行は自由である。 以上がみしな会の近況である。(文責:留岡寛)
(文責:留岡寛)
14期同窓会(2010年5月22日開催)の報告
2010年5月22日に小学校、中学校合同の同窓会がひらかれました。
京都に住みながら、初めて保津川下りを楽しんだ人もおり、(私もその一人なのですが)その後懇親会が、アランヴェールホテル京都で。
今回は、初めて同窓会に来られた方もおられ皆中学校時代に戻り楽しい時間を過ごしました。
14期は、2年毎に同期会を開催する予定です。次回は、2011年10月29日の予定です。
幹事は、今村君、細見さんです。皆さん、元気にお会いしましょうね!!
(14期 鎌田 陽子 )
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11期生の同窓会では平成22年10月17日(日)12時より栄雲院(同窓生の井畑さんが住職をされています。)にて 横井先生と11期卒業生51名で、物故者(同窓生9名)の法要が行われました。
その後、本堂にてケータリングによる中華料理の昼食となり、昼食後伏見の30石船に乗船し濠川を遊覧、 大倉記念館見学後解散し、時間の許せる人たちで同窓生の山下淑子(松村)さんが実家を改装し経営されている 町宿「まつむら」を借り切り二次会を行いました。(なお集合写真上部円内の方も参加者です。)
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21期(昭和44年卒業)では、故奥谷先生が東京に来られた時に東京在住の同窓生、何人かが集まり、その後2003年頃から定期的に集まるようになり、旧交をあたためております。現在東京近辺在住15名くらいで「東京桃山会」と名付け、10月第3日曜日開催と決め、毎年集まっております。今年も10月17日、数寄屋橋のSun-mi本店に11人が集まり、昔話やお互いの近況話と、楽しい時間を過ごしました。京都の皆さんも時間があえば是非参加してください。
(幹事 岡本 茂男)
京都からの連絡:2011年8月13日 京都で21期の同窓会を開催します。これから、計画しますが、是非ご参加ください。とりあえず、予定を。
(幹事 瓦谷 泰浩 田村(北田) 滋子)
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私たちは、昭和19年4月に第2次世界大戦の真っ只中で京都師範学校女子部附属国民小学校に入学し、戦後の学制改革によって学校の名称変更によって、京都学芸大学附属桃山小学校を昭和25年3月に82名が卒業し、そのうち12名は他の学校へ転学しましたが、大部分は附属桃山中学校へ進学をしました。
丁度、わが国は戦後の復興時期で社会的にも経済的にも厳しく、過激な労働運動が展開される最中で、さらには朝鮮動乱の勃発などかって経験したことのない激動の時期に貴重な青春時代を過ごしました。
中学は、他校からの編入16名が加わって、小学校と道を隔てた北側の大学内の床板が抜けそうな古びた木造校舎での中学生活が始まりました。
1年足らずで当時の国鉄奈良線の踏切を渡ったところに新校舎が建ち、生徒自らが机や椅子その他の教材などを、東へ500メートルほど離れた坂道を一心不乱に運んだことは忘れられない想い出として脳裏に刻まれており、今なら親子ともども拒否反応を示すような事柄を当然のこととして果たし、その後の人生でも味わえなかった大切な体験として印象に残っています。
また、就職状況の厳しさから「デモシカ先生」といわれた頃で、授業とは関係のない政治的な内容を話題にする先生もおられて、社会情勢を敏感に反映した事象であったと考えられ、生徒にとってその後の社会生活において多少とも影響を与えている部分があったかもしれません。
卒業時にはまだ附属高校がなかったために、98名の学友がそれぞれ希望する私立高校や定められた通学圏の公立高校へと歩んで行きました。
今回は、王朝文化を集積した『冷泉家時雨亭文庫』の見学と御所の祈願所といわれる『閑臥庵』での黄檗宗に伝わる精進料理で雅な伝統文化を味わい、古都の雰囲気を満喫してもらえそうな趣向で案内をしました。
開催した6月4日は、梅雨時にも拘らず爽やかな好天に恵まれた日和で、同窓生では故人11名、消息不明14名、遠隔、病弱等の案内辞退者を除いて4割に当たる28名が各地から集い、恩師の小森、橋本両先生が錦上花を添えていただき和気藹々楽しいひとときを過ごせたことを喜んでおります。
これまで地元にいる者を中心に50年近くほぼ毎年継続して同期会を開催し、正にギネスに値する熱心な努力と参加者の協力の賜であることを実感した次第です。これからも元気が確かめ合える機会として大切にしたいと思います。
還暦から古希を2年経て会えることの喜びを皆でかみ締め、しかも小学校卒業後60年という星霜を経て、同期会が盛会裏に終えられたことは大変意義あることであり、来年も一人でも多くの元気な顔が見られるようお互いの再会を誓って散会しました。
奥谷先生の訃報については橋本先生からお聞きして、全員で黙祷によりご冥福をお祈りしました。先生の詰襟姿やコウリュウブンゲンのことが懐かしく思い出されます。教職をしている甥が先生からピアノでシゴキを受けたことが授業に生かせていると感謝していました。
最後に、小学校卒業60年という節目の記念として、京都新聞が企画している京滋の学校の同窓会を紹介する「旧交歓談」への掲載を依頼しています。大変人気のある欄で応募が多く混み合っている状況で掲載予定が9月頃になるとお聞きしています。掲載された際には附属桃山小・中学校の多くの関係者の皆さんに老男女の集いの元気な様子を是非ご高覧いただければ幸いに存じます。
(5期生 木﨑 勝夫)
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60歳、還暦と言われる年齢に達した私たちは、平成21年6月14日に、琵琶湖ホテルにおいて、附属桃山小学校43期と桃山中学校16期の合同で、「還暦お祝い同窓会」を開催しました。
13日に開催された附属桃山中学校同窓会総会に出席した後、琵琶湖ホテルに再集合。ホテルのバーでの二次会で大いに飲み、話し、夜の更けるのも気にせず、散会した後は、ホテルの露天風呂でまた話し込み、お泊り同窓会を楽しみました。
翌14日は、琵琶湖を眺めながら優雅に朝食をいただき、いよいよ、12時より「附桃小43期・附桃中16期ジョイント同窓会」です。小学校の恩師、小谷利夫先生、鵜飼拓夫先生、清水光夫先生をお迎えして、36名が久しぶりの再会を果たしました。
なつかしい学校での思い出、また、それぞれに現在取り組んでいることなど、一人ひとり順に話を聞き合い、先生に教わった体操をみんなでやってみたり、スクリーンに映し出した卒業アルバムの写真や、欠席者からのフォトレターに見入ったりして、瞬く間にお別れの時間となりました。
またの再会を楽しみに、みんな元気でね、がんばろうね、と声をかけあい、家路につきました。
幹事:北村 稔、佐藤敬二、宮門(今堀)喜子、水谷(酒井)孝子
第16期 水谷孝子